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いかに楽に、いかに自由に、そしていかにスムーズに走るか 。「ランニングを極める」

いかに楽に、いかに自由に、そしていかにスムーズに走るか 。「ランニングを極める」

リラックスして頭の位置と背中を広く高くそれが本書のテーマだと思う。結局オーバーワークさえ回避できれば故障の原因はやっぱりフォームなんだろうね。ここだけは患者さんよりまず自分だと思ってます。そこから患者さんにフィードバックできればベストでしょう。

ランナーに故障はつきものか?
1970年代、マラソン選手だった私は、実にさまざまな故障に悩まされ、しょっちゅう「リハビリの谷」から這い出ようともがいていた。
 ところが、1981年にアレクサンダー・テクニークの教師になるトレーニングはじめ、「ケガをしそうにない」自分にふと気がついたとき、どれほど驚いたことか。204頁
 べつに自分を甘やかしていたわけではない、トレーニングは手加減のないものだった。では、この違いはどこからくるのだろうか?

ランニングは自然な運動か?
確かにエチオピア人やケニア人にとっては、ランニングは学校に行ったりご近所を訪ねたりするのと同じように「自然な」ことだ。しかし私の毎日の移動手段は、オートバイかバスか車、そんな違いは、一切考えたがなかったのだ。
 なぜこの違いが重要なのだろうか?206頁
ランニングによる衝撃力はウォーキングの3倍から5倍にもなる。マラソンでは、ゆうに32.000歩以上の衝撃をうけるという事実を考えると、身体の使い方につねに注意を払うことの重要性は明らかである。208頁

走り方を見直す
アレクサンダー・テクニークの教師になるための勉強をしていた当時、私が躍起になって身につけようと思っていたのは、これまで悩まされてきた数々の問題が2度と再発しないようにということだった。
 最初のころ自分にできたことのひとつは、走るときに「自分自身に何をしているか」を観察することだ。その観察の成果で、ランニングが面白くなっただけでなく、潜在的な問題を発見できるようになった。
 さらに、以前はいかに長く、いかに速く、いかに頻繁に走るかが一大関心事だったのに対して、新しいメンタル・チェックリストに加わったの、はいかにに楽に、いかに自由に、そしていかにスムーズに走るかというこうもくだった。206‐207頁

ランナーは不合理な根性主義者
ポーラ・ラドクリフは自伝で次のように語っている。「理学療法士に「走ってみたら?少しくらいケガの予感があっても大丈夫。ただし痛みだしたらやめなさい」と言われても、止めるのは難しいものだ。私の場合、予感があるときはすでに痛みへのラインを超えているものなので、トレーニングできない」。こうした例はどこでも見られるものだろう。207頁

すべては3時間の壁を破るための努力である。距離をおいて冷静に考えるととても正気の沙汰とは思えないが、当時はまったく問題ないように見えた―実際、それは特別なことではなく、あたり前の規則に近いものだった。
207‐208頁

自分が何を、なぜそうしているのかを見つめ直さず、新たな方針で走ることを決断していなければ、私も同じ状況におちいっていたのはまちがいない。208頁
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痛みが起こるのには、心と身体の両方が関わっています。
慢性痛に関する学説や治療法は数多くありますが、
どの説も、慢性痛の症状があるなら、身体だけではなく、
心にもその原因があるという大原則は一致しています。

湘南深沢ニコニコ整骨院 鎌倉市常盤60-3
0467-43-2556
または
今日も通勤ラン5.0km 27:11 5:28/km。着地を気にすると全身ガチガチで息も入ってこない!

by c-dunk | 2016-03-17 21:36 | ランニング

走る迷走柔整師  ココロと身体はセット 設楽義勝


by c-dunk