2016年 05月 30日
「あるがまま」は何もしないことではない「どうにかなる」ことをみること。「心配事の9割は起こらない」
「あるがまま」は何もしないことではない「どうにかなる」ことをみること。「心配事の9割は起こらない」
禅からみた、心の置きようです。
慢性疼痛はまずここなんだろうと考えてます。
生き方としても「今、ここ」から「あるがまま」がみえて、そこから「どうにかなること」がはっきりしてくるんだろうな。というのがポイントかもです。
今、ここ。この瞬間を観察し続ける。
どうにも、簡単ではないけれどもこの気づきで何か変化が起こる。
「あるがまま」に受け入れる。
地道に行きましょう!
減らす、手放す、忘れる「禅の教え」
枡野俊明(著) 三笠書房
「あるがままで」でいる ・「どうにもならないこと」に心を注がない
どちらも、どうにもならないことなのですから、受け入れれる以外の方策はありません。じたばたしようが、しまいが、それしかないのです。
ならば、「あっさり」受け入れませんか?
「あるがまま、そのまま」―それが正味の自分。その正味の自分でしかどんな人も生きられないのです。
自分ではどうにもならないことを受け入れたら、その状況と「共存」できるようになります。あるがまま、そのままの自分がいまできることに向き合えるようになる。どうにもならないことに、とらわれることがなくなって、「どうにかなる」ことに前向きの心で取り組めるのです。
ここでは健康の話をしましたが、もちろん、あらゆること、あらゆる場面に、どうにもならないことはたくさんあります。
心を向けるべきはそこではなく、「どうにかなる」ことのほうです。33頁
痛みが起こるのには、心と身体の両方が関わっています。
慢性痛に関する学説や治療法は数多くありますが、
どの説も、慢性痛の症状があるなら、身体だけではなく、
心にもその原因があるという大原則は一致しています。
湘南深沢ニコニコ整骨院 鎌倉市常盤60-3
0467-43-2556
または
今日は雨で休足。雨の日は絶対走らん(笑)
by c-dunk
| 2016-05-30 21:07
| 身心