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目に見えない流行病2

痛みの歴史はこのうえなく深遠な変化への契機を私たちにもたらすということである。あらためて人間精神は方向を選択しなければならない。慢性の痛みという見えない潮流が沸き起こっているとき、変化したのは私たち自身だけではない。痛みもまた変化してしまった。かつてのようにさまざまな文化や価値体系は意味を解釈してはくれず、いまではただ痛みだけがとりあげられて、もっぱら医学の問題としてしばしば登場している。

まちがいなく、以前なら活用できた文化資源がいまや一般に忘れられているか、そうでなければ役に立っていない。それらはたいていの場合、医学的な治療という信頼をかちとることができないからである。結局、慢性の痛みに関しては、その最も手に負えない特徴のひとつなのだが、通常の医学的な解釈を信じられない。痛みを否定することにも失敗すれば、私たちは多かれ少なかれ何の手立ても失って取残されてしまう。医学的治療の失敗が続くと、慢性の痛みは、言葉では表現でいない体験、何の希望ももてない体験、どうしようもない体験へとしだいにかわっていく。それはまさに空白の苦しみである。


神の罰とか狐がついたなど痛みに何がしかの意味がその昔はあって、そこに逃げ込むこともできたし、また家族や村をあげて儀式を行なうことによって、うまく対処できていたのかなと考えておりますが。儀式もうまく出来ていて運動療法的なものまで含んでいたようで、治った人が今度は祈る方にまわるといったものもあるようです。
by c-dunk | 2006-01-19 09:09 | 痛み

走る迷走柔整師  ココロと身体はセット 設楽義勝


by c-dunk