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また、走る瞑想。「自然体」とは何か?

また、走る瞑想。「自然体」とは何か?

「こうやって着地しよう」「この筋肉を使って脚を振り出そう」こうじゃね、ああじゃねと。小さな動きの変化に丁寧に気づいて修正していった究極はこうなる!なって欲しい。

自分で自分の自然な動きを邪魔してるってことか。

100mを9秒台で走るってこんな感じでなのかもですね。いい姿勢でいるなんていうのも、こういうことかも知れないな。本当の体の声は聴こえてなくて、頭の声、自我の声しか聞こえてないのかもしれない。

もっといえば、聴こうとしていないのかもしれない。
なんてったって「真空の中を何の抵抗もなく進む」ですからね。
たとえば歩行禅で、足を動かしているときにその動きに集中していると、「自分が動かしているのではない」という感覚が入るときがあります。
 
そのときのあり方というのは、あたかも強制的に足が動かされているかのように感じます。なぜかというと、右に1ミリ動かしたいとか、左に1ミリ動かしたいとか、そういうことができないからです。
 
もうずばり、このルートしかないという動き方を足がするため、そこに自由はまったくないのです。134‐135頁

ただ普段、私たちが歩く際に感じるような微妙な抵抗はまったくなく、真空の中を何の抵抗も感じずに進むようなイメージになります。自分の体はこうできているから、自分はこういう体型だから、こっちに動かしてみたらどうだろう、もう少し速く踏み出そう、など計算してやろうとしても絶対に生じない現象です。135頁

その「足が動いちゃう」感じ。「私が」動かすのではなく、単に自然の流れに従っているのです。
「息を切らだないためには、体の声を聴きましょう」と申したのは、突き詰めるとそういうことなのです。135頁

小池龍之介(著) 三笠書房
仏教的<自然体>の手ほどき
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痛みが起こるのには、心と身体の両方が関わっています。
慢性痛に関する学説や治療法は数多くありますが、
どの説も、慢性痛の症状があるなら、身体だけではなく、
心にもその原因があるという大原則は一致しています。

湘南深沢ニコニコ整骨院 鎌倉市常盤60-3
0467-43-2556
または
今朝は雨がきびしくて、さすがに休足しました。
明日は晴れますように!

by c-dunk | 2016-06-23 19:11 | ランニング

走る迷走柔整師  ココロと身体はセット 設楽義勝


by c-dunk